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’スタッフエッセイ’ のアーカイブ « 前ページへ 次ページへ » 2019 年 11 月 22 日 人材じゃない 高村さとみ   先日、北海道大学の「教育制度論」で講義をした。今回で3回目なのだが、毎回「不登校の対応あるある」というのを入れている。学校の対応でいうと「家に訪問する」「まったく連絡をとらない」「朝迎えに行く」など。その対応が良い・悪いではなく対応の一例として出したつもりだったのだが、1回目の講義後の感想には「自分も先生になったときにそういった対応をしてしまいそうで不安」とあったので、2回目・3回目はどんな対応をするにしても、子どもの望まないことをしてはいけないということを丁寧に話すようにしている。例えば「家に訪問する」ことを「自分のことを考えてくれている熱心な先生」と捉える子もいれば、「家にまで押しかけてきてプレッシャーだ。心が休まらない」と感じる子もいる。どんな対応をするのでも子どもに了承をとるべきだ、ということを話している。 加えて今年は10月25日に文部科学省から各教育委員会に出された「不登校児童生徒への支援の在り方について」の話を入れた。これはこれまで出していた同通知のリニューアル版だ。支援の在り方として「学校復帰が前提」と書かれていた部分が削除されたため、この通知を歓迎する声もあるが、私からは否定的な捉え方を学生に伝えた。今回の通知が出る前からだが、ICTの学習により不登校の子どもの出席が認められるようになった。今後は一層、無理に学校に行かなくても良いという風潮は広まるだろう。しかし、ICTを活用できるかは環境にかなり左右される。機器があるか、インターネットが使える状態かという物理的な面はもちろん、私は日々子どもと接していて、ICTを活用しなおかつそれで学習ができる子というのはかなり少数だと感じている。例えば家に誰かがいて、学習を促したり、ICT学習の補足をしてくれるなら可能かもしれない。しかし今、そうした時間をとれる家庭がどれほどあるのか。ICTの活用というのはそうした環境により大きな格差があらわれる話だと思う。 こうした流れを見ていると、どうにもこの通知は学校に合わない子どもを学校外に出し、自己責任でICT学習を受けさせる、それもできない子どもは支えない、という切り捨てになっているようにとれる。本来変わるべきは学校であるのに、何か学校や社会に行くために求められている基準があって、それを満たさない子どもには向き合っていないような。 教育は人材育成ではない。教育とは、一人ひとりがこれからの人生を幸せに生きていくための力を育むことであると私は思っている。教員を目指す学生たちが実際に子どもの前に立つとき、人材育成を担うなんて思わないでほしい。子どもたちを一人の人間として尊重してほしい。そんな内容で私の話を締めた。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 11 月 1 日 「おうちごはん 野の」                                                 亀貝 一義                                                  このタイトルは、中神治夫さんと奥さんの二人が南区簾舞に開いた食事屋さんの名前です。中神さんは、わがフリースクールの、いわば揺籃期から重要な役割を果たしてくれたお一人です。「一人芝居」、「自己表現」の意味とその方法をほとんど何も知らない子どもたちに身をもって示し教えてくれました。そして何度かの舞台をつくり一般の方々にも子どもたちの生き生きとした表現を見せて、その親たちも「わが子がこんな素晴らしいステージを創り出せたのか」と大きな感動をしたものです。それは今から20年ほど前のことでした。その後、フリースクールの表現科を週一で担ってくれました。 この中神さんが3年前定山渓国道から3.3キロも離れた「簾舞94-2」で標記の食事の店を開きました。私はそのときから毎年1、2回家族でお邪魔しています。   無低農薬の野菜・果物・米・雑穀、無添加の調味料などを素材にしたご飯、おかずなどいろいろなメニューがあります。これらを口に入れると「無低農薬の食材からつくる食べ物ってこんなにおいしいのか」と感嘆します。   この10月はじめに妻と行ったとき、お客さんは来ているのかな、と内心心配しながらドアを開けると、午後2時過ぎのアフター食事時でしたが、ほぼいっぱいのお客さんで賑わっていました。   「ご無沙汰しています」を前置きにした挨拶から始まってお互い元気でやっていることを確認しながら例の「定食」を注文して食しました。何か気のせいか味も一段とバージョンアップした感がしました。   「失礼ながらこんなに都心部からはなれた所で繁盛しているとは驚きですね」とバカみたいな感想を述べたりして、「しょっちゅう来れませんがまた忘れられないうちに来ますから」と言って別れました。   中神さんとお付き合いのあった方たち、話のタネとしても非常に楽しく、おいしく、また印象深い体験になると思います。 国道を通っていくと左前方に「簾舞中学校」の柱が見えたらそこを左折して15分前後走ると左側に見えるお店です。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 9 月 20 日 宿泊学習の裏側 高村さとみ  2泊3日の宿泊学習が終了しました。今回の行き先は倶知安と小樽。どんな内容だったかは生徒の様子と共にアップしています。こちらではスタッフ側の準備という、宿泊学習の裏側について。 フリースクールでは毎年、修学旅行もしくは宿泊学習を行っています。行き先はスタッフの意見も伝えつつ話し合いで決まるので、スタッフ側はそんなつもりは全くなかったのに、「どうしても道外に行きたい」という生徒がプランや費用を調べてきてフェリー宿泊で仙台に行った、なんてこともありました。ここ数年は授業料の減額をしていることもあり、家庭の負担にならない範囲でのプランにシフトしています。 さて、今回はまずスタッフから、2年前・4年前にも利用した倶知安の冒険家族というところで自然体験、特に鶏を捌くことをメインにした宿泊学習にしたい、ということを提案しました。最初の反応はやや微妙で、もちろんそれを楽しみにする生徒もいましたが、虫や自然が多いところでの宿泊にハードルを感じている生徒もいるなぁという印象でした。そんな中で「みんなで小樽に行きたい」「自主研修やものづくりをしたい」という意見があり、最終的にはおうちの方の意見も含んだアンケートにより、倶知安に一泊・小樽に一泊するというプランになったのでした。 冒険家族での薪割りや火おこし、山菜・きのこ採り、鶏を捌く体験は実際に体験していろいろなことを感じてくれれば...という思いでしたが、小樽は何か仕掛けなければと悩みました。生徒たちの小樽の自主研修は、お寿司を食べてガラス工芸をしてお土産を買って...というイメージで、ここに何かを「学ぶ」要素を持たせたいと思ったのでした。そこで、スタッフは夏休みに入ってすぐに小樽へ。小樽市総合博物館本館と運河館の二カ所を下見しました。小樽の歴史を学んでから自主研修に入るというイメージでいたのですが、本館は鉄道に特化した博物館になっており、運河館も見学しただけでは歴史を学び取ることは難しそうでした。困ったなぁ...とその日は帰路につき、次に助けを求めたのは「生活教育研究会」という学校の先生たちの学習会です。小樽での宿泊学習があること、小樽の歴史を学べるような仕掛けをしたいことを伝えると、小樽に詳しい小学校の先生がフィールドワークをしてくださることになりました。他にもフィールドワークに興味をもった先生たち数名と一緒に2回目の小樽へ。小樽運河沿いや南小樽を歩き、今回の宿泊学習の下地となる知識を教えてもらいました。 こうして、2グループに分かれて運河沿いや旧手宮線、南小樽の古い建物を歩きながら、こちらのお題の答えを探してくる「小樽街歩き」の時間が完成したのでした。事後学習ではみんなで調べてきたことを出し合い、スタッフの解説も入れて小樽の歴史の全体像を捉えました。おもしろかったのが、グループで「手宮線は北海道で何番目にできたんだろう?ブツブツ...」と歩いていたところ、近くにいたおじいちゃんが「北海道では一番目で、日本でも三番目で...」と教えてくれたそうです。「他にもこんなことを教えてもらった!」と、そのおじいちゃんの話でひとしきり盛り上がりました。 小樽街歩き直後には「いっぱい歩いて疲れた」という声もありましたが、事後学習では「街歩き楽しかったなー」という声が聞けて一安心。普段、何の気なしに遊びに行っている街にこんな歴史がある、と再発見をする(私も今回知ったことがたくさんありました)仕掛けができたなぁと、こちらもうれしくお疲れビールをいただきました。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 7 月 19 日 高村さとみ、家を買う 高村さとみ  最近、引っ越しました。前回の引っ越しは借りていた家の取り壊しが決まって、時間のない中急いで新たな家を探して...とバタバタとした引っ越しでしたが、今回は「家を買う」と自分で決断しての引っ越しです。自分が家に求める条件と予算との妥協点を見つけながら候補を探しました。といっても実際に内覧したのは2件だけ。1件目は内覧した次の日に購入したい意思を伝えたものの、先に契約が決まってしまったとのこと。本当に購入したいときはタイミングを逃してはいけないのだと学びました。なので、2件目を内覧した際にはその場で即断即決。「この先さらに気に入る物件が出てきたら...」という思いもないわけではなかったのですが、思い切って決めてしまいました。  いざ引っ越しとなると、急遽決めた前の家にもそれなりに愛着があったのだと気づかされます。引っ越し間際は「見晴らしはよかったんだよなぁ」「冬場は動物の足跡が見られておもしろかったなぁ」なんてことを考えてしんみりしていました。車で10分離れたところに引っ越すだけなんですけどね。それでも家はもちろん、近くの公園や通り道にもそれなりに愛着があったのだなぁとその時に気づきました。  そして今は片づけ中です。生活はできるものの、まだまだ荷物を整理していかなければいけない状態。カーテンやクローゼット内に置く棚のサイズが合わないことにキィーッとなっています。悔しいので同じカーテンを発注してやりました。棚は段ボールにリメイクシートを貼って自作中です。  いろいろと妥協もしつつ購入した家ですが、自分の理想の生活を想像しながら、それに合わせて家をカスタマイズしていく生活をまずは楽しみたいと思います。しばらくは引っ越さないつもりなので、これまでよりもさらに愛着のもてる家にしていきたいです。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 5 月 14 日 三和高校設立記念の三本の桜 校長 亀貝一義 2009年4月25日、札幌自由が丘学園三和高等学校の開校式を行いました。これについては、このサイトの「三和高校・学校案内」に触れています(http://www.sapporo-jg.com/sanwa/about/)。 そしてこれを記念して、私たちは学校の前庭に三本の桜の苗木を植えました。そしてこの三本を「希望の樹」と呼ぶことにしています。今の札自丘の会報の名前でもあります。 植樹して5年後・2014年に初めて花を咲かせてくれました。残念だったのは、この記念樹を一緒に植えてくれた校務補だったAさんが14年の開花を見ることなく亡くなったのが今でも残念です。 その後毎年美しい花をひっそりと(あまり観賞する人もないですが)咲かせています。もちろん今年も。三本の桜のうち一本が枯れかかっていました。しかしその枯れた木の幹から新しい芽が出てまた花を見せています。 皆さん、本校舎前の桜の木・札自丘の記念樹にちょっと注目してくださいね。 ※ 毎年この時期同じような記事を書いています。念のためにですが...。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 5 月 14 日 不登校は不幸じゃない 高村さとみ  これまでに不登校当事者の話というのをいろいろな所で聞いてきた。当事者が「不登校になってよかった」と話すことがある。そして、話す場がフォーラムだったりすると、司会や会場から「不登校でよかったと思いますか?」という質問が出ることがある。前者は何とも思わないが、後者は何だかムズムズする。だって、その場面でその質問では「よかった」としか言えないじゃない。前者については「不登校になったことを後悔している」でもいいと思うわけです。この場合のいい、というのは不登校自体が良い・悪いという私の意見の話ではなくて、個人が自分の経験にどういう感想を持ったって外野が口を挟む必要はない、ということ。「あなたは、そうなのね。」とそのまま受け取ったらいい。 だから「不登校でよかったと思いますか?」の質問は、不登校への個人的な感想を一般化したいように感じるし、聞き手は「よかった」という話を聞きたい前提で質問しているでしょう、という違和感がある。不登校に限らず「あなたのこれまでの人生よかったと思いますか?」と聞かれて、自分で自分の人生を否定することは早々ないと思うのです。本心がどうかはさておき、否定する言葉を吐くことでより否定を自覚させられるというか。そういうネガティブな気持ちになることを避けたいから、なるべく肯定していきたいというのが人間の心理なんじゃないだろうか。 最近、沖縄の10歳のYouTuberの子が「不登校は不幸じゃない」と発信をして、炎上するということがあった。学校に行くべき、という人たちが10歳の子を叩いているわけだけれど、ふと、みんなそんなに学校が好きだったの?楽しかったの?という疑問がわいた。素朴な疑問として、学校が楽しい・好きだと感じている大人や子どもたちはどれくらいいるんだろうか。 対するコメントは「忍耐や協調性が養われない」とか「ちゃんとした大人になれない。責任とれるのか」とか、おそらく学校を好きではない・楽しくないと思っている人たちもこの子を叩いている。先の話に戻ると、人は自分の人生を否定したくないというのが前提にあるのだと思う。自分は嫌だけど我慢して学校に行ったから、学校に行かないのは怠けている・楽している。自分は我慢したのに楽する奴がいるのは許せない、というように。 でも最初に書いた通りで、個人の思いに外野が口を挟む必要ないでしょう。だって、この子は「自分はこういう理由で不登校になった。これからこういう目標をもっている」という話をしているだけで、「みんな不登校になるべき」なんて言っていない。学校がつらくて行きたくないとか、死にたいという子に「学校行かなくていい」と言っているだけだ。それぞれの人たちに「自分は学校が楽しかった」「嫌だったけど学校に行った」という思いがあるだろうけど、それで自分と思いのちがう人を殴るのはちがうでしょう。少なくとも、(年齢は本来関係ないけど)10歳の子どもを叩く人たちが「ちゃんとした大人」だなんて思えないよ。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 4 月 17 日 札幌自由が丘学園の今年のスタート 札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義 フリースクールは、今年4月15人からのスタートです。今、体験入学者も何人も迎えていますから、すぐ20人をこえていくでしょう。三和高校は、この4月に合計で16人が新しく迎えることができました。高校の入学式は19日なので、まだ新学期スタートとは言えないのですが、事実上は始まっています。 この機会に、繰り返しですが、札幌自由が丘学園の理念と目標について触れておきたいと思います。三和高校の前身はフリースクールでした、フリースクールは25年間の歴史をもっています。今の学校にはどうも満足できない、なじめないという子どもたちのためのフリースクールからのスタートでした。その後、「高等部」をスタートさせ、10年前の4月、和寒町の協力があって札幌自由が丘学園三和高等学校を開くことができました。2009年のことでした。今年の高校入学は第11回目の入学生です。 26年前、私たちは私たちが開く学校を「自由と共同の学校」にしていこうと決めました。だから、こまごました校則はつくっていません。生徒の皆さんの自由と自主を大切にしています。この考えはフリースクールであっても高校であっても変わっていません。そして「共同」とは、生徒どうしの共同、皆さんを支えるスタッフや親、地域の人たちの共同、そして生徒と大人たちの共同、三和高校の「和」の意味でもあります。この自由と共同の学校でみんなが元気を取りもどしています。 入学式当日の生徒数は少なくとも、これまでの例では今後多くの転入生などを迎えることになると思います。いろいろな高校で傷ついたり疲れたりして方向を変えたいという高校生が少なくありません。そして3年間の三和高校での高校生活を終えて次ぎのステージに向かうときほとんどの卒業生が「三和高校で学ぶことができて良かった、ここがわが母校だ」という感想をもって挨拶していきます。多分皆さんも同じだと思います。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 3 月 11 日 三和高校の卒業式に寄せられた祝辞などを紹介します 札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義 今年は第10期卒業式。2009年に三和高校がスタートして10回目ということです。第1回目は開校翌年の2010年3月。これまで三和の卒業生は300人を超えています。 毎回、たくさんの来賓や祝辞をいただいています。一人ひとりにお礼と挨拶をと思うのですがそうならないので恐縮しています。今回いただいた祝辞の中で、(別に差別するわけではないが)ちょっとユニークと思ったものを紹介しておきます。それは、プロ野球日本ハムファイターズの2人の選手からのものでした。斉藤祐樹投手と杉谷拳士内野手のサインもあります。 主な部分を紹介しましょう。 今、皆さんはプレーボールの第1球を投じようと真っさらなマウンドの上に上がりました。これまでの努力をボールに込め、新たな試合に一歩踏み出すときが来ました。皆さんのこれからの人生が輝かしく幸せに満ちあふれていることをファイターズ一同、心よりお祈り申し上げます。どうかこれまで通り、夢に向かって挑戦し続ける姿勢を保ち、毎日を充実したものにしていきましょう。今シーズン、僕たちも北海道で育った誇りを胸に全力で戦っていきます。ともに頑張っていきましょう。 なお、上の斉藤・杉谷両選手は次のような肩書き。北海道179市町村応援大使 2019年和寒町応援大使 なお他にも和寒町の奥山盛町長、沓澤昭一教育長、更に小川勝也参議院議員、東京シューレ学習センター、 そして道内各小中学校の校長先生からお祝いのメッセージがあったことを付記しておきます。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 2 月 27 日 2019年、がんばります。 田房絢子 この間のスクーリングの夜、和気あいあいと談笑していた丁度その時、私のスマホが異音をあげました。「ん?」と思って手元を見ると、見慣れない警告画面が出ていたのでさらに「ん?」と疑問に思った矢先、突如画面が真っ暗に。おいおいおいおい、なんだよ。スクーリングが始まったばかりなのに。とりあえず充電しに行こう・・・。 しかし、私のスマホは意味不明な再起動をくり返し、次の日になってもぱっちりとは目を覚ましません。そして一瞬立ち上がったと思ったら、真っ暗な画面の中央に緑色の不思議なキャラクターが静かに横たわり、おなかのドアをカパッと開けて、さらに不吉な警告アイコンを携えていました。その姿はまさに不吉そのもの。その後、私のスマホはまた無限再起動ループをしたまま、二度と目覚めることはありませんでした。 2019年、私は声を大にして自分に、そして周りに警告します。スマホやパソコンは所詮機械。電源が入らなければただの燃やせないゴミです。信頼しすぎないこと。データはどこに保存しているか、アプリのパスワードをどう管理するかなど、使われるのでなく使いこなすこと。二度とあんな思いをしないように、異変を感じたら対策を取ること。 なんて当たり前のことなんでしょう。こんなことを忘れていたなんて。生徒たちにも教えていたはずなのに!これでも一応、情報の教員です・・・。戒めの一年。2019年、がんばります・・・。 カテゴリー: スタッフエッセイ 2019 年 1 月 22 日 NPOの本分 高村さとみ 最近、札幌自由が丘学園の活動をどうすればわかりやすく伝えられるのかを考えている。 昨年クラウドファンディングを行ってみて、またNPOも自己評価・相互評価をしてより透明性のある運営をすべしという流れもあって、やはりNPOの本分は市民に応援されるものであるべきだとつくづく感じた。市民に応援されるNPOであるためには、自分たちの活動がどう社会課題の解決に役立っているのかをわかりやすく示さなければならない。 そんなことを思って、世界のオルタナティブスクールについて書かれた本を読んだ。サマーヒルスクール、フレネ教育、クロンララスクール、シュタイナースクール。東京シューレについても書かれていた。共通するのは「子どもの主体的な学び」。しかし、これには2つのタイプがある。一つは子どもが主体的に学ぶような仕掛けを意図的に行うタイプ。もう一つは子どもが自分から学びたくなるまで待つというタイプ。フリースクールは後者のタイプといえる。活動への参加は任意としていることが多い。フリースクール的に言うと、安心できる環境で充分に休むことで、子どもはエネルギーを充電し自然と学びたいと思うようになる。(この場合の"学び"は生活や趣味に関するものも含んでいる。)確かに、子どもがイベントを発案・企画・実行した。なんて話をよく聞く。 先の話に戻ると、市民に応援されるNPOとなるために、フリースクールはこの「自然に学びたいと思うようになる」の部分をもっと一般化しないといけないと思うのだ。札幌自由が丘学園でいえば、よく見学の方に言われる「こんなに元気なのにどうしてフリースクールには通えて、学校には通えないの?」がそれである。 子どもが学びたくなるまで待つからといって、大人側が何もしていないとは思えない。普段の会話や過ごす環境や関わる人など、無意識に行っている仕掛けがあるのではないか。私たちも「なぜ元気になるか?」の答えを明確に持っているわけではない。札幌自由が丘学園はよくわからないけど良いことをやっているところ、で終わってしまって、まだ応援されるNPOにまで至っていないと感じる。また、教員の研究会でフリースクールの話をすると「フリースクールだからできること」で終わってしまうことが多いが、具体的な言葉にすれば「この部分なら学校にも取り入れられる」ということだってあるかもしれない。 今年こそは「札幌自由が丘学園はこうやってああやっているから、子どもが元気になるんです!ババーン!」と打ち出せるようにしたい。 カテゴリー: スタッフエッセイ « 前ページへ 次ページへ » 最近の記事 これからの不登校支援のカタチ 東近江市長の発言を受けて コミュニケーションとインターネット 授業料減額制度への思い(新藤理) たくさんのメッセージに感涙! 月別アーカイブ 2024年5月 (1) 2023年10月 (1) 2022年3月 (1) 2021年7月 (1) 2021年4月 (1) 2021年1月 (1) 2020年11月 (1) 2020年6月 (1) 2020年5月 (4) 2020年4月 (1) 2019年12月 (2) 2019年11月 (2) 2019年9月 (1) 2019年7月 (2) 2019年5月 (3) 2019年4月 (1) 2019年3月 (3) 2019年2月 (1) 2019年1月 (4) 2018年12月 (1) 2018年11月 (4) 2018年10月 (2) 2018年8月 (4) 2018年6月 (2) 2018年5月 (3) 2018年4月 (1) 2018年3月 (3) 2018年2月 (1) 2018年1月 (3) 2017年12月 (2) 2017年11月 (3) 2017年10月 (4) 2017年9月 (1) 2017年8月 (4) 2017年7月 (1) 2017年6月 (5) 2017年5月 (3) 2017年4月 (2) 2017年3月 (2) 2017年2月 (4) 2017年1月 (2) 2016年12月 (5) 2016年11月 (3) 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